« 自己分析3 | トップページ | 自己分析5 »

自己分析4

高校では水泳部に入った。OB,OGの方、先輩もみな真面目だった。
体育会のこういうノリは嫌いじゃない。なぜならどっぷりMに洗脳されていたからだ。
頑張って頑張って最後に勝利。
一体なにに勝とうとしていたのか?

練習はきつかったのだが、部活はある意味団体戦でもあった。力をあわせて優勝を目指すということはスイミングスクールでは余りなかったからそれが僕には心地良かった。

いつも練習は不真面目だった。
都合よく解釈すれば効率的だったとも言える。
自分が必要と思えないメニューには明らかに手を抜いていた。
昔から結果を見据えてポイントを絞って練習するのが好きだった。
それは今の楽器の練習でもそうである。
しかし、先輩にしてみればやる気が無いようにしか写らないだろう
でも僕はクロールの選手なのに背泳ぎを練習する意味がわからなかった。

といいつつも先輩のいう事を素直に聞かない俺かっこ良いなんていう中学生みたいな気持ちがあったのも否めない。
そしてそのことで女子の先輩やマネージャーをキュンとさせたことなどは一度たりとも無かった。

先輩や同級生のなにがなんでも練習するとか、もっと勝つ為に練習したいなどというカルトじみた発言は信じられなかった、きっと家族を人質に取られて当局に言わされているんだろうとしか思えなかった。
今思えば僕はそこそこの努力でそこそこの青春を味わいたかったのだと思う。

そうして迎えた夏休み。
当然毎日泳ぐのだ。泳ぐ時間がふえると自分と向かい合う時間も増える。
一日ひたすら泳ぎながら自分と会話するのだ。
なぜこんなにキツイのに頑張るのだろう?
人生で三回しかない貴重な高校生の夏休みをなぜ練習に費やさなければいけないのだろう?
なぜ100mなら1分もかからないレースの為に一ヶ月以上泳ぎ続けるのだろう?
みんなは夏休みを満喫しているのになんで俺だけこんなキツイ目に…
悪魔からの一方的なささやきによって世界で一番不幸だという雰囲気に一人浸っていた。
アスリートなら誰でも当たり前にやることなのだが、もっともらしい理由をつけてサボりたかったのだ。
まあ、言い訳でしかない。

しかし、そこでは泳ぎ続けるしかなかった。一年生のぺーぺーには意見など許されないのだ。
苦しいインターバルトレーニングの最中朦朧となりながらも気づいた。

ここでは誰も助けてはくれないんだ、頼れるのは自分だけ。
代わりに泳いでくれる人はどこにもいないんだ。
自分に負けたら死ぬのだと、泣きそうになりながら
大袈裟に解釈していた。

しかしそれはある意味真実だったのだ
前々からなんとなく気付いてはいたのだがそれは確信に変わった。
僕の人生のターニングポイントだったのかもしれない。

だからといって孤独に打ちのめされたのではない、水泳が孤独なんていうことは以前からわかっていたのだ

なぜなら、持ちタイムで順位がほぼ決まってしまうのだ。回りが遅くても自分が頑張ればベストタイムをだせるし。回りが速くても自分がいつもよりものすごく速く泳げるわけでもない、と非常に冷めた考えをしていた。

そんなこんなで夏の大会を迎えた。結果はたしか100mは三位
だった気がする。超短距離選手だった僕には200m,400mは罰ゲームのようだった。
さらにリレーもあり、予選、決勝を含め1500m以上ダッシュで泳ぐなど正気の沙汰ではないと思った。
それでも終わったあとは充実感で一杯であった。
そこそこの努力でそこそこの結果を残し夏は終った。

僕に残ったのはパンダの様なゴーグルと水着の柄の日焼けの跡だった。
そして、一度しかない自分の人生は誰も代わりはつとめられないから,
今やりたいことやらねばと思ったのだった。

あと、そこそこの努力ではそこそこの結果しかでないが、
本当にやりたいことは努力とは思わないでも出来るようだ。
そうしたことはちゃんと結果が証明するのだろう。

|
|

« 自己分析3 | トップページ | 自己分析5 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/166665/54854460

この記事へのトラックバック一覧です: 自己分析4:

« 自己分析3 | トップページ | 自己分析5 »

2014年10月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ